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クラクフ

オシヴィエンチム(Oświęcim)からワルシャワに戻る途中
クラクフ(Kraków)に寄りました。
オシヴィエンチムからは、バスで1時間半くらい。(ワルシャワから
飛行機で1時間だそうです。)

現在のポーランドの首都はワルシャワですが
11世紀前半から1611年までの600年近くは
クラクフに首都が置かれ、大変栄えていたといいます。

ポーランドは第二次世界大戦で
国土のほとんどが焦土と化しましたが、
古都クラクフは一切の爆撃を免れました。
その理由は、歴史的建築物を破壊すべきではないと
判断されたからでした。

世界遺産となっているワルシャワの歴史地区(旧市街)は
空襲で壊滅した町並みが復元されたものですが、
クラクフは本当の文化遺産なのです。
ポーランドの人たちは、ワルシャワだけでなく
ぜひここをゆっくりと見てほしいと言っていました。
私はたった2、3時間しか居ることができませんでしたが
できれば3日過ごしてほしいと言われました。






クラクフ中央市場広場付近。
ワルシャワの旧市街でも見られる同じような風景ですが
戦火に見舞われなかった場所なのだと思いを馳せるだけで
違って見えました。
アウシュビッツを見たあとだけに、平和の有り難さが胸にしみました。







1222年創立の聖母マリア聖堂。
内部の撮影は有料で・・今回は撮りませんでした。
外見のすっきりとした佇まいと対照的に、内装はかなり凝った装飾、
よく言えば豪華、悪く言えば、ちょっとゴテゴテしていて
私としては少々趣味を疑う?! ゴシック様式です。
でも1222年来のものが今も見られるのだと思えば、感動的です。







聖母マリア聖堂の塔からは
毎日正時にラッパによる時報が鳴り響きます。
機会仕掛けではなく、(写真中央の窓から)ラッパを突き出して
人が生演奏するのです。

これには訳があります。

1241年4月9日、この塔からタタール人襲来を告げるラッパが鳴りました。
ところが突然、その音が途切れました。
敵の矢が、ラッパを吹いていたこの見張り役の喉を射抜いたのです。

この悲劇を悼み、今も毎時間、時報を告げるというのですが・・。
なんともいえないことに、ラッパの音は
765年前と同じく途中で止まるのです。。

運良く、一度聴くことが出来ましたが
なんだか首を傾げてしまいました・・・。
悲劇を悼むなら、最後まで演奏してあげたら良いのに。

(写真をクリックして下さい。大きくなります。)

オシヴィエンチム

8月30日、朝7時にジカンカ(寮)を出発。観光バスに揺られること4、5時間
だったでしょうか。お昼頃、オシヴィエンチム(Oświęcim)という町に着きました。

オシヴィエンチムはポーランドの歴史的な町ですが・・・
ポーランド人は住みたくないと思っています。

そこにはあの、恐ろしいナチス・ドイツによる強制収容所「アウシュヴィッツ」が
あるからです。
アウシュヴィッツとは、オシヴィエンチムのドイツ語名だとも言われていますが、
バスに同行して下さったヤブロンスキ教授は、アウシュヴィッツは
町の名前ではなく、キャンプ(“人を殺す工場”)の名前であるという
表現をされていました。


アウシュヴィッツでは、一日800人もの罪のない人々が殺されました。
最終的に150万人ともいわれる人々が人間以下の扱いを受け、虐殺され
ました。
アウシュヴィッツは、反ナチス活動家の収容所として1941年から、多くの
ユダヤ人が送られましたが、収容者が増大するとともに、近くに
ビルケナウ強制収容所が新たに建設されました。

私はアウシュヴィッツとビルケナウの両方の収容所の一部を見ました。
思い出したくはありませんが、今、終戦記念日を目前にして、
またイスラエルとレバノンの情勢を見て、もう一度振り返りました。

収容所では基本的に内部の写真をフラッシュをたいて撮ることは
禁じられています。というか、どうして撮影する気持になれるのかわかりません
でしたがアメリカ人と思われる観光客の多くは、残酷な場所を(フラッシュを
たいて)写真に収めて歩いており、そうした行動には憤りとともに涙が出たことも
思い出しました。

私が撮影した以下の写真は、外側からの写真ですが、
これすらも本当は辛い思いでした。

でも広島や長崎の被爆者たちが今、いろいろと語ってくれているように
人類が決して忘れてはいけない記憶として、2枚だけ載せておきたいと
思います。
今は特に日本人が戦争と平和を考えるべき大事な時でもあると思います。
詳しいことをこちらにて

アウシュヴィッツ平和博物館

AUSCHWITZ-BIRKENAU






アウシュヴィッツ強制収容所正門。
ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になれる) とある。
収容者のほとんどはここから生きて出られなかった。








ビルケナウ強制収容所。
この広さには言葉も出ない。一つの小屋(馬が数頭飼われるような場所)に
400人もの人々が詰め込まれて生活・・生活と言えるものではなく、動物以下の
扱いだった。周囲はこの写真のように、高さ4mもの有刺鉄線で囲まれ、6000
ボルトの電流が流れていた。夜でも逃亡は不可能だった。


______________________________
この日はショパンの何の曲を思い浮かべても
辛い辛い一日でした。

(訪れたオシヴィエンチムという町の名前を、アウシュヴィッツと書くことに
抵抗があり、ポーランド名にしました。)

野外コンサート




8月28日、日曜日、ワジェンキ公園のショパン像の前で
野外コンサートが開かれました。
ベンチには沢山のお客さん。
始まる時間の少し前に着いたのですが
空いている椅子はありませんでした。

ショパン像の前の水辺、芝生にも座る人がどんどん増えて・・





ショパン像の隣、テントのすぐそばにグランドピアノ。
ピアニストはマリア・シュライベル先生で、曲目はショパンの生家で
演奏された時と同じオールショパン。
音はところどころに立っているスピーカーから聞こえるのが殆どで
快適な音色とはいきませんが
ショパン像の前で、演奏者はどんな気持でショパンを演奏しているのか・・・に
ずっと想いを馳せていたので、とても幸せな気持でした。

芝生やベンチに座っている沢山の人が皆、静かに
熱心にショパンに耳を傾けている様子も忘れられません。
都会の真ん中で、こんな光景があるなんて。。

音とともに
ショパンやその周りの緑、花々、日差し、風、
その時間に感じられたすべてが
思い出です。
ポーランドの人たちとともに、ショパンの音楽を
空気のように肌に触れることができた気がします。





ワジェンキ公園内のレストランでランチタイム。
殆どの人たちが外で食事をしていました。





美味しいトマトスープ、パン付き、アイスティ、全部で15ズロチほど(600円弱)。

マズルカ & ポロネーズ

8月28日の夜は寮の近くのレストランで
マズルカやポロネーズの踊りと音楽を楽しみながら
食事をしました。

2時間ほどの間に2回、衣装を替えて見せてくれます。
音楽はアコーディオン、クラリネット、ヴァイオリンの生のアンサンブルで
時には踊りの人の中に交じって身体を揺らしながら演奏していました。

踊りの合間には、力強い足踏みの音や手拍子、「ヘイ!」などと掛け声も入って
楽しい雰囲気がより一層もり立てられていました。





最初の女性の衣装は白で、花嫁さんのようでした。
ペアで踊る時もあれば、男女別々のグループで対照的に踊ることもあります。

写真ではどれがマズルカでどれがポロネーズだか分からなくなってしまいましたが
音楽が変わるごとに、踊りの種類の説明もしてくれます。




後半は民族衣装です。




男女それぞれ3人ずついて、さまざまなことをします。
列になって踊ることもあれば、輪になったり
男性が後ろの舞台袖にひっこみ、女性だけで踊ったり




踊り(民謡)にはストーリーがあるらしく、こんな風に
いたずらをした牛(獅子舞のように2人の男性が入っている)が、
女の子にしかられるといった振り付けを楽しませてくれたり・・・。

男が長いムチを持って出てきて、床を打ち鳴らし、
その音が一番大きかった者が優勝! (お客さんも連れてきて競わせる)という
ゲームをしたり・・・客席からは次第に笑いと歓声、拍手が沸き起こりました。

マズルカやポロネーズがどんなものかよくわかった、というほどの体験では
ありませんでしたが、思っていた以上に華やかでエネルギッシュであったこと、
現地の人ばかりなら、きっとお客さんも全員一緒になって踊り出していただろう
と想像できる楽しい雰囲気を味わうことができました。

ショパンはユーモラスな人であり、ものまねが上手だったと本に書いてあります。

私はこれを見て、牛になってふざけているショパンも想像できてしまったのでした!

さて演奏にどう生かしましょうか!?


(レストランがろうそくの灯りだけで暗く、フラッシュが届きにくかったため
画像が鮮明でありません。お許し下さい。牛の画像は大きくなります。)

練習室

ショパン・アカデミーの練習室はなかなか落ち着く場所でした。
2階の廊下の途中にある受付で鍵をもらえば、一日中借りることも
できました。鍵を持ったまま、昼食に出かけても散歩に出かけても、
レッスンを聴講してもよく、好きな時に好きなだけ(朝8時から夕方
19時くらいまで)練習できたのです。
こんな暮らしができたのは私にとって学生時代ぶり?!
幸せな毎日でした!




練習室の並ぶ明るい廊下です。




廊下から見える中庭の様子。







建物が古いので、部屋はきれいとは言えないながらも
各部屋、絨毯が敷いてあったりして・・・。
ドアは2枚あり、窓も二重で
隣の部屋の練習の音もあまり聞こえません。

窓の外は緑がそよいでいます。




私が借りた部屋のピアノはすべてグランドでしたが
随分古びた物ばかりでした。
正直、これは困る! というほどペダルが上下しなかったり
(ショパンはペダリングを練習したいのに・・・。)
鍵盤がでこぼこしていたり(タッチが重いとか軽いという
次元ではない!)・・・。

ピアノの種類は私が出会ったものだけでも随分いろいろありました。

August Förster  アウグスト・フェルスター(下の写真/ドイツのピアノ)
C.BECHSTEIN ベヒシュタイン(上の写真)
YAMAHA ヤマハ
BLÜTHNER ブリュートナー
STEINWAY & SONS スタインウェイ





いろいろな楽器に出会えたことは興味深かったですし、ピアノが良くない云々あっても
ここはショパン・アカデミー。
ショパンの師、ヨゼフ・エルスナー(1769-1854)が初代学長をつとめた
ポーランドで最も古い音楽院であり、ショパンはここで3年間(1826-29)、
エルスナーのもとに学んだのです。
ショパン卒業の時の成績評は「絶大なる能力、音楽の天才」でした!

そのことを考えただけで、どんなことも素晴しく思えてくるのでした。

ショパン・アカデミー その2




ショパン・アカデミーの玄関を入ったところの
ショパンの像です。

日本では作曲家の像があっても花が飾られていることは
あまりないと思います。
ワルシャワ市内ではこうして
大切な人への尊敬の念、人々の優しさがそこここで感じられます。






学校の裏庭です。
学校関係者しか入れないということはないどころか、
子供たちもよく遊んでいました。
犬の散歩に訪れる人も・・・。
この庭は練習室の窓からもちょうど見えるのですが、
練習の合間に
そよぐ緑や、人々の憩うのどかな時間を感じることができて
ほっとした大切な時間になりました。

街角の風景



ここはショパン・アカデミー近くのスーパーの野菜売り場。
野菜や果物は道端で露店のように売っていたりもするのですが
小さなスーパーもいくつかあってとても便利です。
驚いたのはバナナの買い方。
ここはスーパーなのに、バナナを房ごとかごに入れて
レジに持っていくのではなくて
房から欲しい本数をもいで、かごに入れているのです。
別の店で、店員に個数を言って買うところでも
「バナナを一房」のつもりでバナナを指差しし、“一つ”と指でジェスチャすると、
店員は素早く「1本」もぎとって袋に入れてくれたのでした!
 (1本だけ買うなんて変な人だという顔をされました。。)


ワジェンキ公園を歩く



ショパン像を見た後、公園内を歩きました。
旧オレンジ園(Old Orangery)ではクジャクに会いました。






噴水のそばにはベンチがあり
本を読む学生、カップル、老夫婦がゆったりとした時を過ごしていました。






水に浮かぶワジェンキ宮殿。
17世紀末に当時のポーランド王が建てた夏の離宮です。






宮殿の表側です。




公園内にはアイスクリームを売っているところもありました。
サーティーワンのように種類が豊富にあり
シングルを注文してみると、なんと1.8ズロチ(70円くらい)でした。

ワジェンキ公園のショパン像-2-




ショパン像は、1936年 公園設計家として有名な
ヴァツワフ・シマノフスキ?氏により建立されましたが、
1940年 ナチス・ドイツによってワルシャワが占領され攻撃された時、
このショパン像も無惨にも破壊されしまったといいます。 

第二次大戦後、このショパン像は、ワルシャワの芸術愛好家たちの
手によって1958年に再建されました。





ポーランド人がこのショパン像を見ることは
辛い過去を思い出すことでもあり
また同時に
彼らが過酷な歴史を乗り越えてきたことへの慰めでもあるでしょうか。

その悲惨さを目の当たりにしていない私にとっても
ショパンが彫像となって
ワルシャワの青い空にとけ込んでいるその姿に
なぜかじんと胸が詰まる思いがしました。
平和を祈らなければ・・・と。





ショパンの髪とともに頭上になびいているのは
柳の枝であるとか。。
右手はピアノを弾いている手のようです。


さまざまな角度からの表情を・・







音に耳を澄ましている表情をしています。
ショパンに会えた気持になりました。



ワジェンキ公園のショパン像 -1-




ワジェンキ公園を初めて訪れる者にとって
一番の目的地はやはりここ、ショパン像のある場所です。
ワルシャワの人々の憩いの場所であり、ショパン像はワジェンキ公園の
シンボルなのです。
絵はがきやガイドブックで必ず見るショパン像ですが
本物は想像以上に素敵で、印象深いものでした。
いつまでも佇んでしまいました。





池の周りには沢山のベンチが並んでいて
ベンチの間には小さな赤いバラが咲いていました。





次回はこのショパン像の歴史に少し触れておきたいと思います。
(写真は今回のよりも拡大したものをアップします。)
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